『 いよいよ新元号『令和』
-平成時代のビジネスツール 』
4月1日に新元号が菅官房長官の手により発表されました。 『令和』-万葉集の大伴旅人の歌からの引用との事で、当日からゆかりの地として太宰府『坂本八幡神社』は人気スポットに様変わり。万葉集学者のオーソリティ中西先生が生みの親だとか、令和(よしかず)さんという名前の方がメディアに登場したりなどなど…。生前退位と新天皇即位による祝賀ムード一色の中、報道番組もワイドショーもよく色々とネタを探して発信するものだなー、と感心します。 昭和天皇の崩御とともに急遽発表しなければならなかった平成元年1月の時と違い、今回は事前に4月1日発表と予めわかっていたし、生前退位でもあったので前向きな明るいイメージで発表を受け入れる人が多く、消費税UPによる景気の腰折れも言われる中、GW10連休と併せて景気にもいい影響を与えそうですね。 ここ最近のメディアでは、≪平成≫という時代を総括する企画が大流行でしたが、福岡では平成元年といえば『アジア太平洋博覧会よかトピア』が開催された年、私個人としては10年ぶりに福岡に戻ってきた年です。というわけで、私なりに≪平成≫をビジネスシーンで総括してみました。 30年と一口に言いますが、ビジネスシーンでは目覚ましい(というか目まぐるしい)ビジネスツールの変革の時代だったともいえます。平成元年はスマホどころか、名刺入れくらいの大きさのポケベルをもって外回りをし、会社からピーッ・ピーッと呼び出しがあれば公衆電話を探し黄色や黄緑色の公衆電話から会社に連絡を入れておりました。それから少しおしゃれなペン型ポケベルを経て、文字数限定のメッセージを送れるカード型ポケベル→PHS→携帯電話へとわずか7~8年で変貌していきました。平成元年当時も携帯電話はありましたが、高校生男子の弁当箱くらい大きく(ほとんどがバッテリー)、しかも月額基本料金も3万円近くするし、通話料金も固定電話3分10円時代に携帯電話は約1分で100円とべらぼうに高い!サラリーマンにはとても持てない物で、どちらかといえばオーナー社長系が持つブランド商品のようなイメージでしたよね。 職場で1人1台パソコンが当たり前になったのも平成7~9年くらいだったと思います。当時はインターネットもインフラとしてはありましたが回線容量が小さいため通信速度が遅く、HPでマンションの間取図を見るのに何分もかかっていました。 それにしても、パソコンがデスクになかった時の職場って、電話と筆記用具・メモ・書類しかなかったわけで、今ではどんな感じで業務を進めていたのか?もう思い出せませんねー。 私ごとですが、自宅は南区平和です。元号をリレーする地名です。住宅地として地名だけで人気が出るかも…。 ≪平成から令和へ。時代を継承する「平和」という永住の地!≫ テレビで『出没-アド街ック天国』に取り上げられた時のキャッチコピー、できました!
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代表取締役 樋口繁樹
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