『 「新しい生活様式」で気になること~PART2~ 』
前号から2ヶ月が過ぎ、今思っていること。
想像以上に早く第二波は来るんだな~ということと、それは取りも直さず人間が関わり合いながらでしか生きていけないんだな~、ということです。
経済活動や学びの場など、リモートワークによってかなりの部分は対応可能になってきました。スポーツ分野でも野球、サッカーなど5000人まで観客を受け入れ、発声なしの拍手による応援、リモートによる応援など少しずつ定着してきました。
ただ、場を共有しないチームワーク、人間関係の深化は可能か?という僕の不安というか課題の解決方法はまだ見えません。
8月6日の西日本新聞朝刊の「コロナ禍を考える」対談シリーズで東浩紀氏(哲学者)と伊藤亜紗氏(美学者)が語っているのが印象的でした。
東氏--『三密を避ける、というのは「感情を共有する場所を排除する」ということです。飲み会も行かなくていいし、スポーツ観戦も家で見ればいい、ライブもオンライン配信でいいじゃないかと。でも「みなさんの感情はそれで大丈夫なのか」と思ってしまう。生活の場で感情が満たされないと、安っぽいポピュリズムが入り込んでくる気もします。』
伊藤氏--『感情は過去の経験の蓄積によってできたある種の判断能力でもあります。いろいろなことが数値化されているが、その分析的な判断を補完してくれる。』
≪中略≫
東氏--『短期的な効率性と長期的な持続可能性は異なる。・・・短期的な効率性を考えたら、人間関係のノイズを切り捨ててデジタルにした方がいいと感じるひとはいるでしょう。しかし、それを追求すると組織も学問も持続性を持たなくなります。』
まさにそうだと。僕の不安(課題)はそこなのです。
また、愛読誌「スポーツグラフィックNUMBER」1008号では映画監督の西川美和氏の連載エッセイでも氏いわく
『ぎゅうぎゅうに人の埋まった満員のスタジアムで、競馬場や国技館で、客も競技者も汗と汗を混じり合わせて一つの戦いを作ってきた人類の習慣は、この先も長く封印されてしまうかもしれない。つばきを飛ばして大声で誰かを応援したり、抱き合って喜びを分かち合うことを否定された先に私たちが見つける人生の楽しさは何だろうか。・・・自分と他人との間にくっきりと境界線を作ることが是とされ、人類が懸命に信じようとしてきた連帯のヒューマニズムが否定されつつある、このいわば「悪魔の仕掛け」に対して、ただズリズリと土俵外まで寄り切られるのか、それともとんちの利いた巻き返しが図れるのか。』
そう、
≪とんちの利いた巻き返し≫
が今の僕たちのウィズコロナ、アフターコロナのテーマなのだと思います。
これは我々世代の郷愁みたいなものではないと言い切れます。愚息と同世代の取引先のリモートワーク当たり前世代の方ですら、リモート結婚式などはちょっとイメージ湧きません無理です、と。
京大の山極総長はゴリラの研究で有名な方ですが、コロナ・ショックに関して『ゴリラは集団から数日離れただけで、元の集団に戻れなくなります。「身体が共鳴し合っていること」が群れのメンバーであ ることの証しなのです。人間は共鳴から外れたとしても、許容力を持っているため、集団に戻ることができます。その許容力を生かした社会をつくるべきだと思う。』と言っています。(日経ARIA)
不安を課題に、そして課題にトライして実感をつかみ共有し深いところで分かち合える、その「とんち」の答えはもちろん1つではないと思います。行動は引き続き制約を受けますが、とにかく動きながら考えていこうと思う今日この頃です。
代表取締役 樋口繁樹
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