春夏と 四季折々の風物詩 体感できるありがたさかな
5月8日、広島サミット準備に合わせて?新型コロナ感染症分類がついに2類から5類へと緩和され、待ちに待った(ほぼ、ですが)コロナ前の風景が戻って参りました。街を行き交う人たち、ビジネス人、買物客、観光客…皆の笑顔や笑い声が増えたように感じ、こちらも嬉しくなってきますね。別にウィルスが撲滅されたわけでも何でもないわけですが、気分が違います。専門家の皆さんはもちろんお立場上油断してはなりません!というわけですが、そもそも病は気からで病気というくらいですから、皆の笑顔が増えると免疫力も付くってことで高齢者の方持病持ちの方含めて、外出して活動できることそのものが身体に良い事だと実感する今日この頃です。
前号の締めで春の風物詩でうちのマンションのタケノコのことを書きましたが、GWのどんたく港まつりも盛大に行われ、いよいよ夏。夏と言えば博多祇園山笠。前にも一度この欄で書きましたが、僕は土居流G町からもう30年以上ヤマに出ているのぼせもんです。しかしこのお祭り、今でこそ晴れやかな顔で若手として中高大学生に社会人若手など多く参加していますが、町内の大先輩に伺いますと昭和の後半ごろは、とにかく舁き手が少なく(つまり元気な若者の参加が少なく)、今は30分で舁き終わる夕方の流舁きや朝山に1時間〜1時間半かかかることも普通にあったようです。とくに朝山は中高生が山を舁いている途中で「行ってきま〜す!」といって一人抜け二人抜けて学校に行くと残るはロートルな舁き手ばかり(失礼!)、そりゃ山足もつきませんよね。途中で山を止めて右肩と左肩で入れ替わるなどやりながら、皆いわゆるコッパゲたフラフラ状態で山小屋に戻るなんて、今では想像しづらい情景です。
もちろん地元の若者の皆さんがどんどん増えたわけではありません。この博多商人文化のありように興味を持っていて祭りとなると血が騒ぐ(自分のその一人)、勤めたり住んだりしているのは博多部以外だけどこの街の店や会社や家に縁がある人たち、そうした人たちを受け入れて、今や8割は域外の者が参加しているという話もあります。昨今は外国人の福岡居住者も結構参加していますよ。統率がとれないと怪我人も出ますので、様々なルールがあるわけですが、外国人も含め域外参加の人たちも皆先輩から教えられたルールを守っていますよ。
4年前の令和元年三番山笠土居流はわがG町が7年ぶりの当番町で町域に山小屋が立ち町内皆でフル稼働しました。少々時間と手間がかかり疲れるけどやり甲斐があるしやっぱり楽しい〜それが山笠当番町です。その後コロナコロナで2年が過ぎ、昨年二番山笠土居流が奉納されましたが、僕は実父の逝去で喪がかかり全行事参加できませんでした。というわけで喪が明けた今年は4年ぶりのヤマなのです。もう舁き手としては戦力外(というか舁きたい若手がいっぱいいるから入れない・・・)ですが、いつの間にか仕事柄役割を仰せつかりG町の不動産担当として、詰所の場所確保の打合せやら寄付のお願いやらで、ヤマが動き出す前の準備が当番町以外の平番の年でもけっこうあるわけです。今年のヤマはどんたく同様ほぼコロナ前に戻るとのお達しもあり、血が騒いでおります。
余談ですがこのヤマの昭和以降の流れを見ると、人口減の日本の働き手を確保するには、ルール作りをして海外からの移住も含めて門戸を開き、国内市場を若手で活性化させる〜その見本のような気もしますね。
代表取締役 樋口繁樹
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